菱野熊野社古墳・山口八幡社古墳群
2022/3/23
菱野熊野社古墳
 瀬戸ペディアには記載が無いが、別の資料では神社境内付近に現存するとされている古墳である。(未確認)
山口八幡社古墳群 <瀬戸ペディア(瀬戸市のHP)>
 瀬戸市八幡町・矢形町
旧山口村の氏神は現在山口八幡社で戦前は郷社の格をもっていた。社伝では承久の変(1221)後敗れた山田次郎重忠が山口村に落ち延び、ここに八幡宮を勧請したという。末社稲荷社は横穴式石室の中に社殿がある。この円墳が山口八幡1号墳で須恵器・金環・鉄製品が採集されている。境内には通称「杉塚」と呼ばれる古墳群がある。八幡神社の裏山の尾根上の先端部分に径15〜20mの墳丘が(2号墳)、さらにその上段の尾根上に径約10mの墳丘(3号墳)が確認できる。西に隣接する本泉寺境内に本泉寺古墳(円墳)、さらにその西側に矢形古墳(滅失)が分布する。
B <菱野熊野社> '22/5/2
C <山口八幡社(1号墳:鳥居右手の玉垣の内側)> C <1号墳の横穴式石室(左右の側壁)>
C <1号墳の出土品(境内に掲示)> C <1号墳の出土品(境内に掲示)
C <2号墳?> C <3号墳>
雑感・その他
・菱野熊野社古墳については、複数の地元の方々に尋ねたが知らないということで今後も折を見て確認していきたい。瀬戸市内の丘陵地にある神社は古墳のある所が多く、古墳を聖域ととらえて神を祀る場所にしてきたのだろうと思う。
山口八幡1号墳についての瀬戸ペディア「末社稲荷社は横穴式石室の中に社殿がある。この円墳が山口八幡1号墳で…の記載は誤りで、稲荷社付近を探しても石室跡は見付からなかった。Web上の別の資料を見て八幡社の鳥居の右手にあることが分かった。昭和58年に横穴石室の左右の側壁が見付かり、出土品から六世紀後半の古墳という。
・2号墳については、本殿左側の小祠から裏山を50mほど登ったところにあるというWeb上の説明と写真資料をもとに探した。場所は特定できたが、墳丘の形跡は全くなく尾根の一部とも考えられる状態で本当に古墳かどうか判断できなかった。
・3号墳はそのすぐ上にある径10mほどの円墳で、良好に墳丘が残っていて瀬戸ペディアにも写真が掲載されている。
・本泉寺古墳(円墳)については、山林を含む広い境内が関係者以外立入禁止になっているので確認できなかった。
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